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Photoshopの存在意義とカメラの限界について
コンパクトで操作も簡単でどんな写真でも取れてしまうカメラが普及し、多くの人々が気軽に写真というものを楽しめる時代になったと。
これは観光業の発達とも相まっているんじゃないかと今思いついたけどまあそれは置いといてだ。
あと「写真とはつまりアートだよ」となんでもアートに帰着させればいいみたいな言説もあまり好きではないので写真とはつまりアートなんだよとは言いたくないけどまあそれも今日の話題とちょっと違うから置いといてだ。
Photoshopをはじめとして写真を好きなように加工するツールが一般に普及してだね、一般人のみならずメディアもそれら写真加工ツールを利用して自分たちの撮った写真を思い通りに変形させて伝えることができる時代であるわけだな。
ネット上ではPhotoshopの加工が失敗したまま週刊誌などの雑誌に掲載されてしまった写真を槍玉に上げて論ったり、アイドルやモデルの顔や体型を修正して掲載されたものと修正前の写真を(どこから手に入れてるんだかわからないけど)並べて「うわーこのアイドル腹たぷんたぷんじゃんwww」つって弄ってるわけだ。
TVで心霊写真の特集番組が減ったのもそういう加工がいくらでもできる時代だから、どんな怖い写真が出てきても「フォトショでしょ」の一言で片付けられてしまう、たとえ本物の心霊写真だったとしてもフォトショ加工の写真がそれともはや区別がつかないクオリティにあるから、純粋に心霊写真だつって怖がることができなくなったからという話は小耳に挟んだことがある。
で、そういう状況を以って僕らは「Photoshopがあるんだから写真の可能性は無限に広まった」という認識を持つのが普通なんだな。
しかし一歩進んで考えるとだね、「Photoshopがなければこんなに思い通りの写真が出来上がることはなかった」という言い方もできるんだな。
Photoshopっていうのはつまり”理想通りに撮れなかった写真を理想通りに加工するツール”なわけだ。
ってことはよ、逆に言えば、”やっぱりカメラには限界があって、自分の思い描く理想の写真を撮ることはやはり未だに非常に難しいことである”ことの裏付けになるんじゃないかな。
カメラや写真の可能性が広がったんじゃなく、生のカメラや写真では、これ以上はデジタル加工しないと理想通りの写真にならない、っていう限界ラインを引かれた、ってことじなんじゃないかな。
”トップアイドルのお腹が予想以上にタプンタプンだった・・・”っていう圧倒的現実を前に、出版社ではなんとか”くびれたスタイル抜群のトップアイドル”っていうイメージを作り出すためにフォトショ加工しなければならない。
それはつまり、デジタル加工しない生の写真では、”トップアイドルのたぷんたぷんのお腹”という圧倒的現実をまざまざと写し取ることになり、理想のアイドル像を生み出す限界を超えることはできない、っていう「限界」の生成なんじゃないかと。
今思ったんです。
おわり。
(NHKBSプレミアム たけしアート☆ビート「坂田栄一郎」 を見ながら)
2011/12/22 (Thu.) Trackback() Comment(0) 戯言
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