2024
05
19
2012
09
19
映画性、絵画性、逸脱の定型
この間まで映画って静かで波乱の少ない穏やかな作風が好きだったんですよね
勉強として黒澤明もヒッチコックもゴダールもスピルバーグも見てたけど好みはアンゲロプロスだったり
で、今日久しぶりにバックトゥザフューチャーを見てて気づいたんですよ
こういういわゆるハリウッド映画ってさ
ワンパターンだったりインパクト重視でストーリーがつまんなかったりでよく叩かれるけど
逆に言えばハリウッド映画並の視覚効果(SFXっていうの?)って
映画でしかできない表現なんじゃないかな
って思ったんですよね
本ではできないしテレビ番組でも予算とかで難しいし音楽でもできないし
あれだけの激しい映像を表現できる媒体が映画だけだとしたら
その映画性というのか
映画だけにしかできないことを存分に生かした作品を作るっていうことが
ものすごく評価できるんじゃないかって思ったのね
僕は映画評論とか読まないからそんなことはすでに語られ尽くされたことなのかもしれないけど
僕は今日になってそこに気づいたのね
残念ながらその言説を乗り越えることなく同じ作品を生み出し続けているハリウッドのマンネリがハリウッド映画批判を生み出しているのかもとの想像も含めて。
そんでそこまで考えて
それって絵画の領域において19世紀ヨーロッパで抽象絵画や象徴主義絵画が生まれた原因となった絵画の自己意識化と同じ問題系なんじゃないかなって思ったのよ
まあ絵画自体は意識を持たないから正確には絵画が絵画であるという絵画性を画家が強く意識したことを指すわけだけれど
写真っていう実景を正確に写し出すメディアが生まれて普及してさ
本物そっくりに描かれることを売りにしていた絵画の存在意義が大きくぐらついたんだよね
そうして生み出されたのが絵画にしかできない表現で描かれた抽象画や象徴主義絵画だったわけだ
もとから宗教画やなんかみたいな空想ストーリーも絵画だからこそ描けてたわけで
その絵画にしかできない表現を強く押し出さざるを得なくなった、そうしないと絵画の存在意義が消えてしまうかもしれない状況にまで追いやられたのが写真の出現によるものだったわけだ
そういうものすごく自身が絵画であるということを意識した現象って
ハリウッド映画における映画表現の発達と似たものなんじゃないかなっておもったのよね
ただまあそこにもちょっと不満みたいなものはあってさ
ハリウッド映画のいわゆるワンパターンと呼ばれるものがそれなんだろうけど
自己意識の方法がなんか全部似たりよったりなんだよね
これって人の性格やファッションの分類とかにも言えて別に記事書こうかなと思ってるけど
何にでも主流とか王道みたいなものがあってさ
そこからはみ出してメインストリームじゃない表現をしたがるのはよくある普通の心情じゃん
それはわかるんだ俺もそうだし
ただそのはみ出し方っていうかさ
要するに主流からの逸脱の方法みたいなものにも型やパターンが存在しちゃってて
はみ出すのにもパターンという型から抜けられる人ってものすごく少数だよなって思うの
それと似ててさ
ハリウッド映画の自己意識から生み出される映画性の自覚の表出が
いくつかのパターンにはまってて
つまんねーなーって
思ったのよね
まあ映画の場合裾野が広くて僕が知ってるよりいろんな人がいて
型から抜け出したいろんなパターンがあるんだろうけど
それらは大きな声で宣伝されにくいから
出回ったり知られる機会も少なくって
それも残念だなーって
思ったんだよね
2012/09/19 (Wed.) Comment(0) 戯言
Comments